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バティックとその周辺
寝る前に読む、まだ読んでない本のある幸せ
アマゾンで注文していた本2冊が届いた。
どちらも高山なおみさんの、料理の本。
ううう、うれしい。

高山さんの本は、ゆっくりふとんにもぐって読むのがいい。
飲み物も用意して。
しかも、一晩に一気読んではいけない。
毎晩、ちょびっとずつ読むのがいい。

というわけで、今夜はウイスキーをなめなめ読む。

帰宅してからは、ちゃんと”まともな”夕ご飯を作り、明日のお弁当も準備し、少しロウ描きの続きもし、なんだかとってもまっとうな夜。

それは、実はもうひとつの、うれしいことのせいなのだけれど、それは胸のうちに秘める。

いろんなことに影響されずに、わたしはわたしのペースで生きたい、と思うが、現実にはわたしは”いろんなこと”に影響されまくりだ、と思う。
が、今日は、まぁ、それはそれでよしとする。 今日はうれしいことに影響されてるんだもんな。
# by tomo_kodama | 2007-10-10 23:11 | 本を読む
ちぐはぐなこと
いま、布団の上に出ているもの。

一、夏の掛け布団 薄いピンク色 コットンガーゼを重ねたもの

二、毛布 黄緑がベース いつもは真冬に登場する

三、シュラフ ラベンダー色、とラスベリー色のツートンカラー スリーシーズン用(春夏秋用)の羽毛入り


気温の変化に対応していたらこんなことになっている。
でも、この色も素材もちぐはぐな感じがとってもいい加減で、なんか 気に入っているので、しばらくそのままにしておこう。

家に居るのに、シュラフにくるまって寝る、ってなかなかいい。
子供の時、庭にテントをはってもらって、夜の一晩、外で寝たりしたことを思い出す。

あのころと、基本的にわたしは変わっていない。
# by tomo_kodama | 2007-10-03 23:23 | その他
みちっとした柄 その2
昨日やりかけた柄、試しの生地での線描きを終える。

どうも、仕事中は夕刻熱っぽくって、目がうるんで、唇の下に、熱の花っぽいのが出てきて、
やばいなぁ、と思っていたけれど、帰宅したら、そんなことなどすっかり忘れて、ロウ描きをしていた。

小さい生地でいいから、みちっと柄を描きたいなぁ、 と思ってはじめた柄だけど、やり始めたら、スカーフくらいのサイズで、やりたいかも、やっぱり、と欲が出てくる。

インドで買ってきたシルクをまだ使っていない。思いきってこれをスカーフサイズにはさみを入れて、この生地に描いてみようか、と思うんだが、その生地、スカーフにするには、若干短い。
あーあ、なんでもっと十分な分量買ってこなかったんだろう、あたしは。と自分のケチさに、ちょっといやになる。

でも旅行中はその国の物価で生活(旅)してるから、たしか、手つむぎ、手織りの、この生地は高価に思えて、少ししか買えなかったんだよなー。

と、この文章を書いていたら、この生地はそういえば、残りわずかで、店においてある、1mちょっとを全部もらってきたことを思い出した。
短いのはわたしのケチのせいではなかったんだった。そうだ、そうだ、そうだったよ。

みちっとした柄 その2_c0133854_22553443.jpg

# by tomo_kodama | 2007-10-01 22:57 | バティック/もの作り
みちっとした柄
週のあたまから、”みちっ”とした柄をやりたいなぁ、とずっと思っていた。
なんどかやり直して、結局出来上がった柄は、わたしのイメージとしての”みちっ”とした柄、というより、ちよっとイスラム圏のタイルにあるような柄になってしまった。

”みちっ” とした、をちゃんと言葉にするならば、多分、「隙間なく柄が入っていて、豊満で、しかもどこまでも続いていく。」別の表現なら、 太平洋の女性の肉付きみたいな、とでも言ったらいいのだろうか。
体にしっかり肉がついていて、しかも、それは密度の高い肉で。

どこまでいっても抽象的な表現しかできなさそうだ。

なんにせよ、イメージとはちょっと違うけど、ひとつ柄がまとまって、今日は試し描き。
この柄をつなげれば、どこまでも、広げていける。その一番小さい単位の柄の試し描き。

ロウ描きはたのしいなぁ。 あたしはワックスホリックかもなぁ、と思いつつ。
どこまでも、つづく、ってのがミソなんだよなぁ、などとも思いつつ。
# by tomo_kodama | 2007-09-30 23:45 | バティック/もの作り
シズノ先生のこと
毎週木曜日は洋裁の教室の日だ。
終戦時に二十歳だった、と言う、シズノ先生と、ほぼマンツーマンの教室。

「あんたが、来るの待ってたよー。今日はズボンの製図をやりなさい! 最近、わたしが死んだら、どうするのー、って思うの。ひとつでもふたつでも、わたしが生きているうちに勉強しなさい」

いつもは、わたしの好きな用にやらせてもらっていて、わからないことがあったら、先生に教えてもらうスタイルの教室。
たいていは、先生の戦時中の話に始まり、阪神の話(ときにはTVをつけて、阪神の試合にけちをつけながら、阪神が勝っていれば「洋裁どころじゃない」となり、負けていれば「洋裁はもう教えてやらない」となる)、先生のお孫さんや、子供さんたちの話。それからあんたも、はやく結婚して子供生みなさい、そんなことまで、2時間余りの時間を手も口もフルに動かしての教室だ。

なのに、前回は、先生がなにか思うことろがあったのか、わたしの姿が見えるやいなや、いきなり製図を勉強しなさい、ときて、私はちょっと面食らった。
「あたし、もうすぐ死ぬのかな、虫の知らせかな」と、しずの先生。

その言葉に、私は返す言葉が出てこなかった。

実は、数回前のレッスンで、先生のおしゃべりがふっととぎれ、一瞬先生が眠ってしまったかのように、思えたことがあった。その瞬間、わたしは、あ、先生亡くなるかも、っと思ったのだ。
おしゃべりが途絶えて、先生の”気”が消えかかりそうになったのだ。(わたしがそう感じただけかもしれないが)
そして、その時、わたしは”あちら側”に行きそうな先生を呼び戻す必要はない、と感じていた。洋裁の最中になくなるのだとしたら、それは先生にとってきっとごく自然で、家族の方も納得いくだろう、とすら思った。

なぜか。
それは先生が80を越した今でも、十分に人生を楽しんでおられることを、わたしはよくよく知っているから。
今なくなっても、先生はご自分の人生を悔いることはない、と先生のお話から聞いて分かっているから。

しかし、死期を感じているような発言を前に、わたしは、やっぱり言葉をつまらせることしかできない。

来週も、定時きっかりに仕事を終えて、飛ぶように教室に行く。しばらくは製図の勉強をさせていただこう。とにかく、今はそう思う。
# by tomo_kodama | 2007-09-21 23:29 | その他