おとといの晩のこと、
いつもの居酒屋で、隣の席の女性が
「素朴でいい子なんです、素朴で」
とわたしのことを、彼女の連れに紹介した。
数年前、飲み屋で一緒に飲みにいった男友達は
「素朴な子なんです。素朴でいい子なんですよ。素朴で」
と、”素朴”を3連発させて私のことを店の人に言っていた。
おとといの晩も、数年前のときも、
釈然としない気持ちが残った。
たぶん、言っている本人はわたしのことを褒めてくれているんだろうが、
言われているわたしはちっともうれしくない。
ちっとも、どころか ぜーんぜん、うれしくないのだ。
おととい会った女性は居酒屋で数回顔をあわせがことがあるだけの方で、”本質的”な話をしたことはない。なので、外見的にわたしのことを”素朴”と言ったのだろう、と思われる。
数年前に飲みにいった友達とは昨日今日の間柄ではないので、わたしに対して外見もそれから中身も”素朴”だ、という印象があるんだと思う。
どちらにせよ、うれしくない感情には間違いがない。
だからといって、じゃあわたしは”素朴”じゃないか、といえば、きっと素朴な人間なんだろうと思う。
シンプルな暮らし、シンプルな洋服を好むし、化粧っけもないし。
まぁ、控えめにいっても華があるタイプではない。だから”素朴”を否定はできない。
でもでも、”素朴でいい子なんだ” といわれると、わたしは たった今山から出て来たばかり、なにも悪さを知らない子、なんていう風に言われていると感じてしまって居心地がよくない。
よくないどころか、ココロの中では若干の”がっかり” が発生する。得に意中の男性に”素朴な子”と紹介されたときは、ココロの中で涙が一粒だった。
3回も言うことないやん、3回も。
別に素朴であることが悪いんじゃないとは思う。でも別の言い方をして欲しかったんだ。少なくても”素朴でいい子”は私にとって褒め言葉じゃない。なんて今さら言ってもしょうがないが。
さてでは、気を取り直して、どのように紹介されたいか、と考えてみる。
たとえば、「おもしろい子なんです」なんていうのは、きっとうれしいと思う。関西では”おもろい”は明らかに褒め言葉だ。が、おもしろいどころか、話しべたな上に活舌も悪い。
「エネルギッシュな子なんです」これも、いいな、と思うが、ごく頻繁にへこんでは、早々に布団に入ってるわけだから、エネルギッシュとは程遠い。というより、エネルギッシュでありたい、というわたしの希望だな、これは。
結局だから、”素朴”というのは的を得ているのかもしれない。
ここまで書いて思い出したんだが、店のマスターが「よく泣き、よく笑う子や」と言ったことがある。これはわたしは褒め言葉だと受け取っている。