母が、「あんた、こんなのいらない?昔はこんなの作って遊んでいたねぇ~」と、言って出してきたのは、子供用の小さなエプロン。 赤地に黒の水玉で、胸当てがついていて、白いピコットレースもついている。
私が小さいころ、母が縫ったものらしい。
迷うことなくもらってきた。
胸当ての部分だけほどいて、やっぱりエプロンとして使おう、と思ったから。
大坂に戻ってから、もう一枚、赤地に白の水玉のエプロン、これまた実家からもらってきて、胸当ての部分をほどいて作り直したものがあったことを思い出す。
あー、もしかして、覚えてないけれど、幼いころ水玉のなんやかんやを
いろいろ着せられていたのかな、などとぼんやり思っていたら、
水玉のスカートやら、キャミソールブラウスやら作ってもらって、
好んで着ていたことを思い出してしまった。
黒地に白の水玉のティアードスカート。
鉄棒で”スカートまわり”をしてるときに、破ってしまった。
実家には父の手製の鉄棒があって、逆上がりするときに、鉄棒の棒とスカートを一緒に握ると楽にくるっ、と回れる。
調子にのって、くるくるしてるうちに、やぶってしまったんだった。
キャミソールブラウスは、白地に水色の水玉。
ストラップの部分だけ、生地が足りなくて、妹のブラウスの残りを継ぎ足して母は作っていた。
肩の部分だけ、白地にピンクの水玉で、ちょっと変だよなぁ、と思ったんだった。
縁側のミシンに向かう母に「ねぇ、まだ出来ないの?」と何度となくたずねては、
「そんなに早く出来ないよ」と言われ、まだかまだか、と思っていたこと。
なんだか、小さなエプロンから、
無条件に幸せだったころの記憶が芋づるのように引き出され、それで、ちょっと泣きたいような、笑いたいような気分になってしまった。