毎週木曜日は洋裁の教室の日だ。
終戦時に二十歳だった、と言う、シズノ先生と、ほぼマンツーマンの教室。
「あんたが、来るの待ってたよー。今日はズボンの製図をやりなさい! 最近、わたしが死んだら、どうするのー、って思うの。ひとつでもふたつでも、わたしが生きているうちに勉強しなさい」
いつもは、わたしの好きな用にやらせてもらっていて、わからないことがあったら、先生に教えてもらうスタイルの教室。
たいていは、先生の戦時中の話に始まり、阪神の話(ときにはTVをつけて、阪神の試合にけちをつけながら、阪神が勝っていれば「洋裁どころじゃない」となり、負けていれば「洋裁はもう教えてやらない」となる)、先生のお孫さんや、子供さんたちの話。それからあんたも、はやく結婚して子供生みなさい、そんなことまで、2時間余りの時間を手も口もフルに動かしての教室だ。
なのに、前回は、先生がなにか思うことろがあったのか、わたしの姿が見えるやいなや、いきなり製図を勉強しなさい、ときて、私はちょっと面食らった。
「あたし、もうすぐ死ぬのかな、虫の知らせかな」と、しずの先生。
その言葉に、私は返す言葉が出てこなかった。
実は、数回前のレッスンで、先生のおしゃべりがふっととぎれ、一瞬先生が眠ってしまったかのように、思えたことがあった。その瞬間、わたしは、あ、先生亡くなるかも、っと思ったのだ。
おしゃべりが途絶えて、先生の”気”が消えかかりそうになったのだ。(わたしがそう感じただけかもしれないが)
そして、その時、わたしは”あちら側”に行きそうな先生を呼び戻す必要はない、と感じていた。洋裁の最中になくなるのだとしたら、それは先生にとってきっとごく自然で、家族の方も納得いくだろう、とすら思った。
なぜか。
それは先生が80を越した今でも、十分に人生を楽しんでおられることを、わたしはよくよく知っているから。
今なくなっても、先生はご自分の人生を悔いることはない、と先生のお話から聞いて分かっているから。
しかし、死期を感じているような発言を前に、わたしは、やっぱり言葉をつまらせることしかできない。
来週も、定時きっかりに仕事を終えて、飛ぶように教室に行く。しばらくは製図の勉強をさせていただこう。とにかく、今はそう思う。