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バティックとその周辺
闇について
夜の闇が好きだ。夜は暗いからこそ夜だ、と思っている。真っ暗な場所へ身を置きたい欲求さえある。

アジアへ旅すると、予期せずしてその「真っ暗」な状態に出くわしてしまうことがある。中国を旅していたときのことだ、一般的な観光ルートから外れる道を数日間移動することがあった。シャングリラから成都までの山道は今までの旅の中でも心に残るルートで、宿泊した町もそれぞれ深く印象に残っている。今となっては町の名前を思い出せないけど、そのルートの途中にあった山の町の夜の闇は格別だった。
夕方、まだ日が暮れる前に到着して宿を求めた。チベッタンの経営するゲストハウスは、カラフルな絨毯や、彫が施され、赤、黄色、緑などに彩色された家具に覆われた、“タンカ”に紛れ込んでしまったかのような内装だったが、日が暮れてからの町の暗さと言ったら!
到着したその日、「暗くなる前にご飯食べておいたほうがいいよね」と言い合って、近くの食堂で食事をすませ、そのあと少しだけ町を歩いたんだっけ。観光地でもなんでもない、ささやかな幹線沿いの小さな山の町。町の中心に小さな市場や町の施設らしきものがあり、あとは民家。でも人が住み、生活が営まれている場所。そして日が暮れて、気がついた時には真っ暗。真っ暗というよりも、真っ黒。
ゲストハウスも、部屋に付けられている裸電球以外には電灯がなく、外のトイレへ行くのにも一緒に旅していた人が持っていた、ペンライトの点のような明かりを頼りに歩いた記憶がある。
あの時、夜の街が余りにも“黒く”、その闇に少なからず興奮していた。そして、その闇をまた体験したい、と思うのだ。
闇は人を思慮深く、謙虚にする。(だれが、偉い人が言ってそうなフレーズだな)だって、見えないんだもの。むやみやたらな行動は取れない。
そして日が昇った翌朝の気分の良さと安堵。思わず太陽に手を合わせたいかのような安堵。

そう言えば、今回の震災、そして福島原発の事故を受けて東京では節電のため、駅や事務所、幹線道路の照明は半分ほどになっているそうだ。薄暗くなった街や道、それを「今までが明るすぎた、これで十分」「ヨーロッパみたいでムーディーだ」と肯定的に受け入れる声も多々あるという。
元来、人間を含む生物には「闇」が必要なんじゃないか。そう思う。
by tomo_kodama | 2011-05-06 20:27 | その他
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